心理カウンセリングの罠


これまで心理臨床家を対象としたないろいろなシンポジウムやセミナーに参加してきた。また、教育分析(カウンセラー自身がカウンセリングを受ける)やスーパーピジョンにつかった時間も少なくない方だと思う。

 

したがっていろいろな場面で心理職に就いている人々の言動を、目の当たりにすることになる。

 

そこでつくづく感じるのは、臨床の現場で癒されているのは、クライエントではなくむしろ心理カウンセラーやセラピストの方とだというケースも多いのではないか、という懸念。もちろんあくまでも私の主観ではあるけれど、そう思わざるを得ない臨床心理士や認定カウンセラーにかなりの頻度で遭遇する。

 

とくにシンポジウム等での仲間同士で交わされる私語の端々に、所属とは別の流派に対する排他意識はもとより、クライエント尊重の理念とはほど遠い、病的なほどの傲慢な姿勢が垣間見えるときが多々ある。

 

推考すれば、自分たちより情緒・精神面に劣っている「クライエント」という存在によって、優越感情や満足感、心の安定(劣等コンプレックスの解消)を得ている、という心的状況である。前提として、優=臨床家、劣=クライエントという認知の歪曲がある。

 

 

心理学がブームだという。特に臨床。「臨床心理士」の資格を求めて、各地の心理学科や大学院には学生が押し掛けているらしい。私が心理学を受講していた大学にも驚く程の学生が学んでいた。皆、ひじょうに熱心であった。

 

しかし臨床心理士や認定カウンセラーを目指す若い人たちのなかには、明らかに、本来はクライエントたるべき心的葛藤を動機として有している人々も存在する。つまり、自己の抱える心の問題を、強者(カウンセラー・セラピスト)となって弱者(クライエント)を救済するという保障願望によって満たすわけである。

 

そもそも、100パーセントそうでないカウンセラーやセラピストは存在するのか? ということも含め、少なくとも自らの心の明暗を自己洞察できていない者に、人の心を扱う資格はないと思っている。社会経験(生身の人間経験)も乏しいまま、大学院卒業と同時に心理職に就くことについても危うさを感じる。

 

さらに言うなら、心理カウンセラーやセラピストは地道な臨床だけを行っても儲からない。だからといって儲けようとすれば、手を広げざるを得ない。結果、時間の制約によって、臨床も臨床のための日々の研鑽も疎かになる。そういう面でも厳しい業種である。

  

 

カウンセリングを受けて、心の変容どころかさらに傷つき萎縮してしまうような目にあったクライエントさんと接することが、最近とくに多くなった。

 

以上、お前はどうなのだ? という自戒を込めて。

 

誤解を避けるために付け加えるけれど、豊かな経験と実績を積み、尚かつ人格にも優れたセラピストやカウンセラーとも数多く出逢ってきた。私自身の未熟を省みながら、常に多くを学ばせていただいている。