カウンセリング / 共感と受容

 

カウンセリングの最もたいせつなことは、共感し、受容するということなんですが、これは想像するよりもひじょうにむずかしいものです。

というのも、他者に共感し受容するということを第一とするカウンセラーは、それができるようになるために、自分をどれだけ豊かな器としてつくりあげるか、という努力が必要となるからです。

そういう意味では、カウンセラーというのは、強い信念や正義感、独自の理想や主義の持ち主といった方には不向きといえます。もっといえば、一般的な常識や倫理観さえも邪魔になるときがあります。それにとらわれることで、相手をジャッジしてしまう可能性が高くなるからです。

たとえばカウンセリングの過程で、「深い憎しみによって相手への殺意という強い復讐心にとらわれている」といった意識が表面化してきたとします。すぐに共感できるでしょうか。そのまま受容できるでしょうか。

ふつうは、そういった感情は負の感情として否定したくなりますし、なんとか考えを改めさせようと思うでしょう。または、犯罪につながる懸念や、その憎悪のすさまじさに、関わりたくないという気持ちが沸き起こるかもしれません。

カウンセラーは、そういう多様な他者を受け入れる器としての自分を、どれだけ鍛えるか、ということが重要になってくるのです。

器が小さな場合、理論やひとつの療法にとらわれたり、独りよがりな押しつけ、支配的で説教じみたカウンセリングになってしまう可能性が大きいのです。それが間違っているというのではなく、共感や受容のない単なる「人生相談」になってしまうということです。

カウンセラーの、生来の性格としての向き不向きはもちろんですが、それに加え、

いかに自分を鍛えるか、自分の器を大きく豊かにしていくか、それが問題になってくるわけです。

そこが、治療に重点を置く心療内科やセラピーと、相互関係に重点を置く「援助的人間関係」といわれるカウンセリングとの違いかもしれません。

 

援助的人間関係というのは、信頼でつながるクライエントとカウンセラーとのコミュニケーションによって生じる心の相互作用・・・と言い替えてもよいかもしれません。

 

もちろん必要に応じて心理療法も用いますが、理論や技法以前に、まず信頼関係を築かなければ、どのような心理療法であろうとそれを効果的に生かすことはできないのです。

他者を受け入れる器を鍛えるためには、どうしたらよいか。

人間の普遍性と多様性を客観的に知り、あらゆる機会をつくってそれを実感として感じることです。

また、世の中には人の数だけの価値観があると知ること、他者の価値観を自分の価値観でジャッジしないという心得、そういったものも必要なのです。

それらを培うのにいちばんよい方法は、さまざまな経験をすることです。同時に、その経験に固執することのない自由な精神を保たなくてはなりません。

多くの経験をもつに越したことはありませんが、ひとりの人間の人生経験なんて、ある意味たかがしれています。

では、いかにして多くの経験を手に入れるのか。

経験には大まかに分けて実体験と追体験があります。その追体験をたくさん経験するわけです。

追体験のよい方法として、文学に接することがあげられます。文学というのは、人間を描いています。さまざまな小説の中で、さまざまなパターンの人間に出逢うことができ、その人生を追体験することができるわけです。

また、映画を観たり、いろいろな宗教に触れたり、音楽を聴くこともよいでしょう。要は、人間を広く深く味わうことですね。

河合隼雄はカウンセラーの卵たちに、小説をたくさん読みなさいと勧めています。

河合先生ご自身、クライエントの状況がわかりにくいときには、それと似たような小説を探しては読んだそうです。同性愛の方をカウンセリングすることになったときには、三島由紀夫の小説をだいぶ読んだとか。

小説を読んで(心を)想像する力を付けることが、カウンセリングの「共感」「受容」に大きく役立つわけです。

そしてもっとも重要なこと。

カウンセリングがうまくいった場合、それはクライエントがすばらしいからだと知ることです。完璧なカウンセリングなんて存在しないのです。どこまでいっても答がないのがカウンセリングです。新しい何かが芽吹くのを、クライエントさんと一緒にじっと待つ作業といってもいいかもしれません。

失敗したときは、カウンセラーがじょうずに援助できなかったからです。

良い結果をだせたときは、クライアントが自分で解決してくれたからです。