折衷主義のカウンセリング(2)

根拠の第三は、熟練したカウンセラーほど、自然にさまざまな理論を融合させて用いていることが挙げられる。これは河合隼雄先生もあちこちの講演で述べていた。

コンティンジェンシー理論で有名なF.Eフィードラーは、フロイディアン(フロイト)、アドレリアン(アドラー)、ロジェリアン(ロジャーズ)の三学派のカウンセラーそれぞれの面接記録を分析した。その結果、実力のあるカウンセラーほど、それぞれ学派としての差異がなくなっていることが明らかになった。フロイディアンもアドレディアンも受容的な対応をするし、アドレディアンもロジェリアンも洞察的解釈を行っている。一方で、未熟なカウンセラーほど、自分の学派に忠実なカウンセリングに固執する傾向があるという。

そして何よりも重要なのは、クライエントがカウンセリングのよかった点について尋ねられたとき、カウンセラーの心理療法そのものではなく、そのほとんどが「先生は私を心から理解しようとしてくれた」というラポール(心的つながり)の形成の有無ついて述べていることだ。つまり、クライエントにとっては、どの学派や理論であるかはさしたる問題ではなく、何よりもカウンセラーとの信頼関係こそが重要だということなのだ。

もちろん、特定のカウンセリング理論のマスターに何十年も費やしている人からすれば、一人の人間があれもこれもと手を出して複数のカウンセリング理論をマスターできるのかという反論もあると思う。しかしカウンセラーは学者ではない。カウンセリング理論はあくまでもクライエントの問題を解決するための方便であって、実践に必要のない無用の知識を全て網羅し詰め込む必要はないと思う。もちろん心理療法として用いるには、一定の水準はクリアしなければならないが。

ひとつの理論に固執してしまう心理というのがある。

たとえば新しい理論、認知行動療法、ブリーフセラピー(短期療法)などの、それまでのカウンセリング理論と一線を画する理論が登場する。その理論にもとずく療法は短期間で高い効果を上げ、シンプルな理論によってマスターが容易であり、短期の学習で誰にでもすぐに使える。というように、得てして最初はよいことずくめの印象を与えて注目を浴びる。

既成の伝統的理論に立つ臨床家によっては、クライエントや弟子たちがその理論や療法に関心を向けることに嫉妬心を起こす。新しい理論をやみくもに批判したり、自らの依って立つ理論の優位性を過剰に強調し、セルフ・アイデンティティ喪失の恐怖から必死に逃れようとする。

一方、新しい理論に触れた臨床家によっては、その最新の理論があたかも万能薬のように感じられ、優位な面ばかりに意識が向いてしまい、他の理論が古くさく劣ったもののように錯覚してしまう。やがて上記の臨床家のように、次に登場する新たな理論に反発し、最悪の場合自らの行う療法に反動形成の心理が働くようになる。


ちょっと話はそれるが、認知行動療法(認知療法と行動療法という別の理論を折衷した論理療法)が日本に登場したとき、多くのカウンセラーにかなりの影響を及ぼした。いっとき、認知行動療法を習得したカウンセラーがそうでないカウンセラーに対し、「まだロジャーズなんてやってるの?」と言った、なんてことが噂された。

「行動療法」は、当初主流であったフロイトの精神分析に対する批判というかたちで登場した。動物を使った実験から導き出された「学習理論」に基づいたものだが、一定の効果が認められる一方で、実験では観察不能な思考・感情といった面へのアプローチには欠けていた。

その後別の流れから、脳の情報処理理をもとに「認知」に焦点を絞った「認知療法」が登場し、思考・感情・認知といった目に見えない問題に取り組んだ。その後両者が補い合う形で折衷・統合し「認知行動療法」と総称するようになった。

「認知行動療法」はその後も変遷を続け、「機能分析心理療法(FAP)」や「弁証法的行動療法(DBT)」「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)」等々の支流亜流を生み出している。なかにはスピリチュアル風味満載で、どの程度までエビデンスが確認できているのかわからないものもある。またエビデンス自体が、実はドングリの背比べ的な優位性にすぎないという場合も多々ある。

日本ではクリニックにおいて健康保険適用になるなど、「認知行動療法」はひじょうに注目されている。とはいえアメリカでは例によって、さまざまな角度から有効性の実験・検証が続けられている。

なかでも「認知行動療法」の「ネガティブな認知の歪みが修正されることでうつ症状が回復する」という基本的な理屈はそもそも正しいのか?という研究結果がとても興味深い( 米国精神科学界「The American Journal of Psychiatry」1991年)。

そこでは実験データの分析により「認知の歪みが修正されたからうつ症状が改善した」というより、「うつ症状が改善したから認知の歪みが修正された」と考えた方が事実に即しているのでは?という問題提起がなされている。

さらにさらに、データは「認知行動療法」は、認知の歪みが少ない人には効果的なのに、認知の歪みが大きな人に対しては効果が薄れる・・ということを示した。この結果は、上記の「ネガティブな認知の歪みが修正されることでうつが回復する」という理屈から予測される結果とはまるで反対ではなかろうか??

記事内では「これはいったいどういうことなのか? 」という疑問に対する明確な答は述べられていない。私にはこれまでの経験からある考えがあるけれども、推測に過ぎないのでここでは控える。

もちろん「短期精神療法」はクライエントの症状回復に貢献しているし、それなりの大きな意義もある。私も「認知行動療法」を併用することも多い。ただ言えるのは、短期精神療法は短期精神療法でしかないということ。すぐに効くが、すぐに戻る、というようなケースも決して少なくはない。人間の個別性は侮れない、「性質」はそう簡単には変わらない、ということだと思う。


閑話休題。
そういったわけで、折衷主義のカウンセラーはクライエント援助のために役立つ限り、そして自分の力量で扱える限り、できるだけ多様なカウンセリング理論に触れ、それを研鑽しながら自分のなかで統合しなければならない。そしてさらに、統合した自分の理論に固執したりドグマ化させることなく、臨床経験を重ねることでさらに再構成・再統合し、成長し続けていく・・しかない。